2008年07月29日

石原裕次郎1

「僕たちが子供のころは、無形のものから有形のものをどんどん生んでいった。物がないんだから、工夫するしかないわけ。 ところが、いまの世の中は、お金さえ出せば何でも手に入る。だからいまのガキは、工夫をしないよね。知恵を絞ることをしない。 身体も軟弱で、鉄棒して落っこちれば腕を折っちまう。創造性もなけりゃ、体力もない。昔のガキは、いかに廃物利用して物を作っていくかという発想と知恵においては、いまの大学生や大人たちよりはるかに進んでいたと思う」


「プロフィール」(石原プロモーションHPより)

石原裕次郎

1934年12月28日 兵庫県神戸市に生まれる。幼少期を北海道小樽市で過ごす。父は汽船会社重役。日本人離れした長い足で慶応高校時代はバスケットに熱中した。1956年、兄・慎太郎の芥川受賞作の映画化『太陽の季節』に脇役として出演。慶大を中退して日活に入社し、『狂った果実』で主演デビュー。またたくまに銀幕の大スターとなる。63年、石原プロモーションを設立して映画制作にも挑戦。第1回作品『太平洋ひとりぼっち』は第18回芸術祭賞を受賞。70年代に入ると活躍の舞台をテレビに移し、「太陽にほえろ! 」「西部警察」で頼れる”ボス”と、幅広い世代に支持される。同時に歌手としても500曲以上を吹き込み、「銀座の恋の物語」「ブランデーグラス」などのヒット作を生み出した。1987年7月17日、死去(享年52)。

口伝 我が人生の辞より)

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2008年07月30日

石原裕次郎2



「兄貴は優等生だから、親父に手をあげられることは、まずなかった。 殴られ役は、僕が一手に引き受けていた。いや、親父は殴るだけじゃないんだ。水を張ったバケツを両手に持って、庭に立たされるんだから。 真冬-それも、夜だぜ。雪がチラチラ降ってさ。身体は寒くて震えるわ、足は感覚が無くなるわ……。 でも、親父は僕が立っている間、晩飯を食べないで、じっと待っているんだよ。何時間でも。それでお仕置きが解除になったところで晩メシになるんだけど、その時間には、兄貴もおふくろもみんな寝ているんだ。そうすると、親父は、僕と一緒に冷たくなったご飯を食べるんだ。(親父、偉いな)と、このとき思った。 怖い親父だけど、こういう親父の姿を見て、親しみというか、(近づけたな)ってね。そんなことを感じたものだ」


口伝 我が人生の辞より)

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2008年07月31日

石原裕次郎3



「僕らがちっちゃいときは、家族四人で風呂に入っていた。「お母さんもおいで」なんて、親父が呼んでさ。おふくろが途中から入ってくるんだ。 だから、いま当時を振り返ると、すごく微笑ましくてね。「よかったな」というイメージしか残っていないんだ」


口伝 我が人生の辞より)

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